Hoshino Residence
花咲宿の名主、そして本陣。
星野家は、甲州街道・大月宿の西隣にあたる花咲宿の名主を務めた旧家です。下花咲宿の本陣として、甲州勤番をはじめ参勤交代の大名や幕府の役人が宿泊し、荷を継ぎ送る問屋場としても栄えました。幕末には薬の商いも営み、養蚕でも多くの収穫があったと伝えられています。
現在の主屋は、天保六年(1835)の火災ののち江戸末期に再建されたもの。嘉永五年(1852)に記された家相図は、いまの間取りや規模と一致しており、後世の改変が少ない、細部まで当初の姿を残す貴重な建造物です。
Architecture
本陣建築の性格を、細部までよく伝える意匠。
I
せがい造りの軒
正面の軒を深く張り出す「せがい造り」。街道に面した本陣ならではの、堂々とした構えを生み出しています。
II
二階の縁と高欄
二階には縁がめぐり、高欄(手すり)が付きます。宿場の往来を見下ろした往時の眺めが偲ばれます。
III
上段の間と式台
身分の高い客を迎えた「上段の間」をはじめ、式台や湯殿、二か所の雪隠など、本陣建築の性格をよく表しています。明治天皇御小休の間も当時のまま残ります。
IV
養蚕の三層屋根裏
階上は三層に分かれ、養蚕に使われていました。大規模で質が高く、暮らしと生業の記憶を今に伝えます。
Three Buildings
主屋と二つの蔵、そして一枚の家相図。
江戸末期に再建された本陣の中心。せがい造りの軒と二階の高欄、上段の間を備え、大規模で良質、細部までよく残ります。
米と味噌を蓄えた蔵。街道の暮らしを支えた食の備えが、発酵の文化とともにここにありました。
文書や道具を納めた蔵。嘉永五年(1852)の家相図一枚も、三棟とあわせて重要文化財に指定されています。
Timeline
江戸から、いまへ。金の糸のようにつながる時間。
江戸時代Edo period
花咲宿の本陣として、甲州勤番をはじめ大名・幕府の役人らが宿泊。名主・問屋を務め、幕末には薬の商いも営む。
天保六年1835
火災により焼失。その後、江戸末期に現在の主屋が再建される。規模はやや小さくなったものの、間取りと部屋数は変えず、街道により近づけて建てられた。
嘉永五年1852
家相図が記される。その間取り・規模は現在の主屋と一致し、再建の時期を物語る貴重な資料となっている。
明治十三年1880
明治天皇御巡幸の折、御小休所となる。「上段の間」は当時の姿のまま残されている。
そして、いまToday
主屋・籾蔵及び味噌蔵・文庫蔵の三棟と家相図一枚が国の重要文化財に。江戸から続く壮厳なたたずまいの敷地の一角で、「富士納豆」は今日も仕込まれています。
※ 建物の見学については、事前にお問い合わせください。